この記事は、DXの遅れに危機感を持ち、「自前主義の限界」を感じている製造業、建設業、流通業など伝統的産業の経営者の方々に向けています。IT企業を譲り受けることで得られる即戦力と「時間」の優位性、無視できない技術的・人的リスク、そして成功の鍵を握る「技術デューデリジェンス(DD)」についても解説いたします。
1. 異業種がIT企業をM&Aする「目的」と「勝算」
製造業などの異業種がIT企業のM&Aに動く背景には、DXの遅れが企業の存続に関わる危機感があります。ここでは、自前主義の限界と、M&Aによって得られる「時間」の優位性について解説します。
異業種M&Aを成功させるためのポイントや法則について、より詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。 『異業種M&A』成功の法則
1-1. なぜ「自前でITエンジニアの採用・育成」では間に合わないのか
ITエンジニアの有効求人倍率は全職種平均を大きく上回り、特にDXを牽引できるレベルの人材採用は非常に難しいです。運良く採用できたとしても、自社の業務知識とITスキルを兼ね備えた戦力に育つまでには数年の期間が必要です。 変化の激しい現代において、この数年のロスは致命的となりかねません。「育てている間に技術が陳腐化する」「やっと育ったと思ったら転職される」というケースも後を絶ちません。
1-2. 「時間を買う」M&AがDXを一気に加速させる理由
M&Aの最大の価値は、すでに組織として機能している開発チームと、稼働実績のあるシステムを一括で獲得できる点にあります。 ゼロから採用・教育を行い、組織体制を構築するプロセスを省略できるため、DXのロードマップを3年〜5年分短縮する「タイムマシン経営」が可能となります。これにより、競合他社が内製化に苦戦している間に、デジタル化による生産性向上や新サービスの展開を一気に進める ことができます。
1-3. 自社のDX化の”成功確率”が高まる
・DX化が進まない背景、業者=自社のビジネスモデルや業務フローがわからない
・成功の鍵はいかに従業員が使いやすく、効果を感じることができるか。その観点で言えば細かな修正は多くでてくるのは必然。その際にコミュニケーションが取りやすく、自社にあったシステムを構築するためには自前で持っておく方が良い
⇒できたものは自社のノウハウ(商品)として拡販することも可能
2. IT企業M&Aにおけるメリットと無視できないリスク
IT企業の譲り受けは、事業を変革する起爆剤となり得ますが、機械設備の購入とは全く異なるリスクが存在します。ここでは、得られるリソースの価値と、IT業界特有の落とし穴について比較します。
2-1. メリット:即戦力エンジニアとシステムの獲得
最大のメリットは、技術力を持ったエンジニア集団と、彼らが構築・運用してきたノウハウを即座に自社へ取り込める点です。 単にプログラミングができる人員が増えるだけでなく、アジャイル開発などの現代的な開発手法や、デジタルを活用した課題解決の思考プロセスそのものを社内にインストールすることができます。そうすることで組織全体のデジタルリテラシー向上にも寄与します。
2-2. リスク:M&A後の「人材流出(キーマン離脱)」
IT企業の資産価値の源泉は「人(エンジニア)」です。M&Aの発表直後に、開発の中心人物であるCTO(最高技術責任者)やリードエンジニアが退職してしまうと、M&Aした企業の価値は瞬時に毀損します。 エンジニアは労働市場での流動性が高く、自身のスキルアップや開発環境を重視します。「親会社が変わって自由な開発ができなくなる」と感じれば、容易に他社へ移ってしまいます。
■「人」のリスク対策
キーマンの離脱は、譲り受け価格の減額(ディスカウント)要因にもなり得る重大な論点ですので、以下の対策を検討してください。
ロックアップ期間の設定: 売り手社長には通常2〜3年のロックアップ(在籍義務期間)を設けますが、単に縛り付けるだけでなく、その期間の役割(PMIへの協力、後継者の育成など)を明確に定義しておくことがトラブル防止になります。
新旧給与テーブルの激変緩和措置: 製造業とIT企業では給与水準が異なることが多々あります。「親会社の賃金規定に合わせる」としてエンジニアの給与を下げれば流出するリスクが極めて高くなります。少なくとも2〜3年は旧体系を維持するか、専門職向けの別給与テーブルを新設する覚悟が必要です。
1on1ミーティングの早期実施: 発表直後から、買い手経営陣がキーマン一人ひとりと面談を行い、「あなたの技術がなぜ必要なのか」「将来どのようなキャリアを用意できるか」を膝を突き合わせて語ることが、どんな契約書よりも強力な効果を発揮します。
2-3. リスク:見えにくい「技術的負債」の存在
表面上は問題なく稼働しているシステムでも、内部のプログラムコードが継ぎ接ぎだらけで複雑化し、修正や機能追加が極めて困難な状態になっていることがあります。これを「技術的負債」と呼びます。 この負債を抱えたまま譲り受けると、DXを加速させるどころか、システムの改修に膨大なコストと時間を費やすことになりかねません。設備で言えば「見た目は綺麗だが、配管がボロボロで使い物にならない工場」を買うようなものです。
3. IT業界特有の「相場」と「企業価値評価」
IT企業には工場や在庫といった目に見える資産が乏しく、従来の製造業的な査定では適正価格が見えません。ここでは、無形資産をベースとしたIT企業の評価基準と、投資判断の考え方を解説します。
IT業界におけるM&Aの動向や件数の推移について、より詳細なデータや背景を知りたい方はこちらをご覧ください。 IT業界における2022年のM&A動向の振り返り
3-1. 製造業とは異なる「無形資産」中心の評価基準
IT企業の価値は、純資産(BS)ではなく、将来生み出すキャッシュフローや独自の技術力、顧客基盤に重きを置いて算出されます。 特に、SaaS(Software as a Service)のようなストック型ビジネスの場合、赤字であっても「契約継続率(リテンションレート)」や「顧客獲得効率」が高ければ、高い評価額がつくことが一般的です。特許などの知的財産だけでなく、「優秀なエンジニアチームそのもの」が企業価値を構成する重要な資産(のれん)として評価されます。
IT企業のM&A価格相場(EBITDA倍率)
一般的な中小企業M&A(製造業や卸売業など)では、EBITDA(営業利益+減価償却費)の3倍〜5倍が株式価値の目安と言われています。 しかし、成長期待が高いIT業界ではこの相場が一段高くなり、6倍〜10倍、人気案件では10倍以上の値がつくことも珍しくありません。
3-2. M&A費用の目安とROI(投資対効果)の考え方
譲渡価格は、数千万円規模の受託開発会社から、数億〜数十億円規模の自社プロダクト保有企業まで多岐にわたります。 投資対効果(ROI)を考える際は、単体の利益だけでなく、「自社のDXによって削減できるコスト」や「新規事業による売上増」といったシナジー効果を含めて試算する必要があります。自前でシステム開発した場合の見積もりと比較するのも一つの有効な手段です。
4. 【実務編】買い手初心者のためのM&Aプロセス
M&Aは戦略策定から統合まで一貫したプロセス管理が重要です。ここでは、買い手企業が踏むべき標準的なステップと、各段階でIT企業ならではの注意すべきポイントを時系列で解説します。
4-1. 戦略策定とソーシング(相手探し)
まずは「何のために買うのか」を明確にします。「生産管理の自動化」なのか「ECサイトの構築」なのかによって、ターゲットとなる企業の技術領域(Web開発、AI、IoTなど)が異なります。 相手探し(ソーシング)では、M&A仲介会社や金融機関への相談に加え、IT業界のマッチングプラットフォーム活用も有効です。ただし、優良なIT企業は売り手市場であるため、「買ってください」ではなく「一緒に成長しましょう」という提携のスタンスが重要です。
4-2. トップ面談で見極めるべき「経営者の資質」と「カルチャー」
財務諸表は後から精査できますが、経営者の価値観や企業文化はトップ面談でしか感じ取れません。 特に確認すべきは「技術へのリスペクト」と「エンジニア文化の独自性」です。相手の経営者がエンジニア出身か営業出身かによっても組織の色は異なります。また、自社の堅実な製造現場の雰囲気と、相手の自由な社風が融合できそうか、直感を大切にしつつ冷静に観察してください。
4-3. 基本合意からデューデリジェンス(DD)へ
M&Aの意向が固まったら、基本合意書(LOI)を締結し、独占交渉権を獲得します。その後、詳細な調査であるデューデリジェンス(DD)へと進みます。 IT企業のM&Aにおいて、DDは成否を分ける最も重要なフェーズです。財務・法務・税務といった一般的な調査に加え、次項で解説する「技術DD」を徹底して行う必要があります。ここでの手抜きは致命傷になります。
DDの基礎となる財務デューデリジェンスの目的や調査項目について、基本を抑えておきたい方はこちらをご覧ください。 M&Aを行う際の財務DD(デューデリジェンス)とは
5. 成功の鍵を握る「技術デューデリジェンス」とは
財務諸表には表れない「システムの品質」や「開発力の真偽」を確かめるのが技術デューデリジェンス(DD)です。ここでは、専門的な知見が必要となる技術調査の重要ポイントを深掘りします。
技術デューデリジェンス(技術DD)の具体的な目的やリスク評価のポイントについては、こちらの記事で詳しく解説しています。 技術デュー・デリジェンス(技術DD)とは
5-1. ソースコードと開発体制の健全性をチェックする
技術DDでは、実際にソースコード(プログラムの記述内容)を確認し、可読性や保守性を評価します。特定の個人しか理解できない「属人化したコード」になっていないか、セキュリティ対策は万全か、過去のバグ修正履歴は適切かなどを調査します。 また、開発ドキュメント(仕様書など)が整備されているかも重要です。これがないと、担当エンジニアが辞めた瞬間にシステムがブラックボックス化するリスクがあります。
5-2.システムアーキテクチャと将来的な拡張性をチェックする
表面的な動作だけでなく、M&A対象企業のシステムの「骨格(アーキテクチャ)」が今後の拡張や負荷増大に耐えうる設計になっているかを検証することが不可欠です。レガシーな技術や特定の個人に依存した構造がないか、将来的なクラウド移行の容易性、そして他システムとの連携がスムーズに行える設計になっているかを評価します。特にSaaS型ビジネスをM&Aする場合、設計思想が古いままだと、将来的な機能開発が滞り、競合に遅れをとる致命的な要因となりかねません。
6. M&A後の統合(PMI):エンジニアの心を掴むために
M&Aの価値を実現できるかは、M&A後の統合プロセス(PMI)にかかっています。特に文化の異なるエンジニア組織をマネジメントし、自社のDX推進部隊として機能させるためのポイントを解説します。
M&A成立後、買い手企業が直面するPMI(統合プロセス)の実務や心構えについては、こちらで解説しています。 M&A後の譲受企業
6-1. 製造現場とITエンジニアの「文化摩擦」を防ぐ
製造業の「規律・階層・改善」の文化と、IT業界の「自律・フラット・革新」の文化は衝突しがちです。一方的に親会社のルールを押し付けると、エンジニアのモチベーションは低下します。 「なぜこのルールが必要なのか」を論理的に説明しつつ、服装や勤務体系(リモートワークなど)については、エンジニアの生産性を最大化できる環境を尊重するなど、相互リスペクトに基づいた柔軟な運用設計が必要です。
6-2. 評価制度とキャリアパスの設計
エンジニアの評価軸は「技術力」と「成果」です。年功序列型の賃金体系では彼らを繋ぎ止めることはできません。 市場価値に見合った報酬テーブルを用意し、マネジメント職だけでなく、技術を極めるスペシャリスト職(テックリードなど)のキャリアパスを提示することが定着の鍵です。場合によっては、M&AしたIT子会社独自の評価制度を維持することも検討すべきです。
7. 異業種M&Aの成功・失敗事例
先行企業の事例から学ぶことは、リスク回避の近道です。ここでは、異業種がIT企業を譲り受けた際に実際に起きた「組織崩壊」の失敗例と、DXを見事に実現した成功例から教訓を抽出します。
7-1. 失敗事例:丸投げPMIによる組織崩壊
ある製造業企業がシステム開発会社をM&Aしましたが、「ITのことは分からないから」と経営干渉せず、逆に現場からの無理なシステム改修要望だけを投げ続けました。 結果、グループイン先のエンジニアは「下請け扱いされた」と感じて疲弊し、キーマンを含む半数が退職。残ったのはメンテナンス困難なシステムと抜け殻の組織だけでした。経営陣が技術への関与を放棄したことが失敗の原因です。
また、別の製造会社では、DXサービスの開発ならびに社内DXの推進を方向性も示すことなく、M&Aした会社に丸投げしてしまい、グループインから1年経過した際のエンゲージメントレベルがM&A直後に比べて急激に落ち込んでしまいました。このことからも、M&Aを実施した後も、譲り受けた会社が適切な関与を行っていくことが重要であると言えます。
7-2. 成功事例:相互リスペクトによるDX実現
建設会社がIoT開発企業をM&Aした事例では、親会社社長が自らプログラミングの基礎を学び、エンジニアと対話する姿勢を見せました。 また、エンジニアを実際の建設現場に招き、「自分たちの技術がどう役立つか」を体感させたことで、開発意欲が向上。現場の声を反映した使いやすいシステムが完成し、業務効率が飛躍的に向上しました。技術と現場の「翻訳」に成功した好例です。
今後、製造業におけるDX推進において、M&Aは「時間を買う」ための強力な選択肢となります。しかし、成功のためにはIT特有のリスクを見極め、文化の壁を越える覚悟が必要です。まずは、業界の専門家へ相談し、貴社の課題に合った戦略を立てることから始めてみてはいかがでしょうか。
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